拳で顔面ぶんなぐられる方が、ましだ。 ぱぁん、と小気味のよい音をたてて、男の手のひらが吾代の頬を張った。 じわんじわんと広がる熱に、不覚にも涙が滲む。勿論、屈辱からの涙だ。 「結構いてぇな」 内心激情渦巻く吾代とは対照的に、加害者は悪びれる様子もなく、吾代の頬を打った掌をひらひらと振っていた。 「じんじんする」 そして、もう一発。 先ほどとは反対側の頬に広がった痺れ。吾代は目の縁に溜まった水を零さないよう耐えるのに必死になる。 男は愉快そうに笑った。 「泣くほどよかったか、吾代?」 嘲笑混じりの疑問形に頭に血がのぼった。 いいわけがない。この行為で得られるのは性的興奮ではなく、屈辱。只それだけだ。 吾代は男を睨みつける。 それとほぼ同時に頬に痛みがはしった。 鋭い音。 それが、吾代が体制を立て直す間もなく繰り返される。幾度も幾度も。 人気のない事務所に連続的に響く折檻の音。 忍び込んでくる夜の喧騒を切り裂くような響き。 そして、音と同時に襲ってくる痛み。 痛みの後の熱を感じる隙もないほど、断続的に、繰り返しふるわれる、屈辱的な暴力。 気がつけばこらえていたはずの涙は零れ落ちていた。 暴力は、暫くの間止まることなく続いた。 漸くそれが終わった頃には、吾代はすっかり反抗する気力を失っていた。 頬の上を流れた、常なら生温い筈の涙が冷たい。 頬がすっかり熱を持ってしまったからだ。 口のなかは鉄錆臭い。 それが気持ち悪くて、でも常のように吐き出すことも出来ず、血混じりの唾液は半開きの吾代の口の端から垂れ流された。 男は最初に頬を張ったときのように掌でひらひらと空気をかき回しながら、空いた手で煙草を取り出して火をつけた。 そして床に崩れ落ちている吾代を見下ろしながら実に旨そうに煙を吸い込んだ。 常なら心の安定剤となり得るそれすらも、今はひたすら苦く煙たい。 ひとしきり煙を堪能した後、男は身をかがめて吾代に語りかける。 「悔しいだろ、吾代?」 吾代が顔をあげた。赤く腫れ上がった顔が己を捉えたのを確認して、男は続けた。 「拳でぶん殴るだけが暴力じゃねーんだよ。 肉体的にボロボロにするのもいいが精神的にボロボロにするのもいい。 両方やるのが一番最高だ」よく覚えとけよ、吾代。 そう言い残して、男は事務所を後にした。 吾代が一人残された真っ暗な事務所には、ぶぅん、という冷蔵庫の駆動音だけが微かに響いていた。 |
2006.011.14