桂木弥子の誕生日は、どうも食べ物との縁が深くなりがちだ。
あちこちから、おめでとうという言葉と多種多様な食べ物が集まってくる。
弥子=食魔人という図式がすでにすっかり出来上がってしまっている所為だろうか。
まぁ、食べることに至高の幸せを見いだしている弥子にとっては願ったりかなったりなのだが。
可愛い小物を貰うのも嬉しいといえば嬉しいが、食べ物を貰うのはもっと嬉しい。
「弥子ぉ、おめでと〜う!」
そう言って飛びついて来た早苗から、おめでとうを貰うのは二回目だ。一回目はメールで。
夜中、誕生日になった途端に送られてきた可愛いく装飾されたメール。
女の子って本当に律儀だ。誕生日を忘れない。プレゼントだってちゃんと用意する。
例にもれず弥子だって現役女子高生な訳だから、その辺りのマメさは持ち合わせていた筈なのだけど、最近はどうも疎かになりがちだった。
理由ははっきりとわかっているのだが、その原因を根絶することは、現段階では確実に不可能だったりするのが悲しい。
そういえば、あいつって誕生日とかあったりするのかな?と件の原因に対してふと抱いた疑問は、残念ながらすぐに霧散することになる。
「はい弥子、プレゼント!!」
感謝しなさいよぉ、と渡されたケーキの箱は、紛れもなく今弥子が最もはまっているケーキ屋のものだった。
白く上品な箱から発散される甘い匂いと(友人曰わく)弥子にしか見えない誘惑のフェロモンに、弥子の思考はとろけきって、些細な疑問なんて綺麗さっぱり忘れてしまった。



何故そのことを唐突に思い出したのだろう。
一週間前の出来事がふと頭をかすめて、弥子は首をかしげた。
疑問をもったまま、テーブルに視線を落とす。そうすれば原因はすぐに知れた。
あの時早苗に貰ったケーキと全く同じものを食べていたからだ。
真っ白に塗り替えられたふわふわのスポンジに、どっさりと苺がのった、お店一押しのストロベリーショートケーキ。
ゼラチンの薄い幕で化粧した苺がてらてらと光っていて宝石みたいに綺麗だった。当然、見かけを裏切らないおいしさ。たまらない。
弥子はそれをフォークで切り崩しながら、机にふんぞり返っているネウロを見た。
今思い出したのも何かのきっかけかも知れない。聞いてみようかな、と思った。
ネウロについてはしらないことや理解できないことばかりだが、形だけは共同経営者なのだから、少しでもネウロについて知っておきたいと最近考えるようになっていた。
老いなんてものに縁がないであろう彼には年齢という概念なんてまるでないような気もするが、一応生物というかたちに収まっているのなら誕生した日があってもおかしくないかもしれないし。
「ねぇ、ネウロ」
「なんだ」
「あんたって誕生日ってあるの?」
「無論だ」
「ェ!いつ!?」
「16月344日だ」
「…へぇ…」
いつだよ。
もはや日付であることも定かでは無いようなその誕生日に弥子は脱力した。
いつのことだがさっぱり分からない上になんだか悲惨だった数学のテストを思い出して切ない。
すっかり気がそがれてしまった弥子だったが、次のネウロの言葉に仰天することになる。
「貴様らの暦になおすと3月10日になる」
あまりに衝撃的すぎて、フォークでつついていた苺が下敷きにしていたスポンジごとぐしゃりと潰れてしまった。
「嘘ぉ!あたしと一緒じゃん!!」
それを嘆くのも忘れて声をあげる弥子を、ネウロは汚物でも眺めたような顔で見た。
「貴様みたいな下等生物と同じにするな」
「うっさい!」
「ほほぅ」
すかさず伸びてきた手に頭を掴まれた。いつものパターンを踏襲しつつある。まずい。弥子は慌てて軌道修正をはかった。
ある程度の諦めは染み着いてしまったが、改善の努力を怠ってはならない…気がしないでもない。
「ネウロ。一週間遅れだけどおめでとう。これ、良かったら食べる?」
言って、食べかけのショートケーキを差し出した。弥子としては(至高の一品を差し出したわけだから)かなりの誠意を示したつもりだったが、残念ながら弥子の頭を握った手には更なる力がかけられた。
どうやら誠意は伝わらなかったようだ。
「貴様が好んで食べるものなど我が輩には必要のないものだ」
蔑む視線が、食べかけのケーキに注がれた。こんなおいしいものを塵ぐらいにしか思っていないネウロ。
理由は知っている。嫌というほどしっている。そのせいで普通の女子高生から逸脱しつつあるのだから。
「我が輩が口にするのは良質な謎だけだ」
謎を喰う化け物には、甘くておいしいケーキだって単なる炭水化物の塊にしか見えないのだろう。
愛する食物を愚弄されたことに怒りを感じないわけではないけれど、理解できなくもなくなった。おいしくないものを食べたいとは、弥子でも思わないから。
「所で弥子よ。確か誕生日とは主人公が誕生した日を下僕が祝って主人公の言うことを何でも喜んで聞く日だったな」
「いやいや違うから!都合よく解釈しすぎだから!!」
怪しい雲行きだ。弥子は必死で訂正しようとしたが、そんなものをネウロが聞き入れる筈がなかった。
「さて、何をもらおうか」
ご機嫌なネウロの頭の中には既に、如何にして弥子に苦痛を与えるか、ただそれだけが充満していることだろう。本当にまずい。
「だからこのケーキあげるって」
「そんなものはいらないといっているだろう」
勢いよく差し出したケーキは、差し出した時のおおよそ倍の勢いで、弥子の顔へと返ってきた。
「…」
売れない芸人並に顔をクリームまみれにした弥子とは対象的に、汚れのない顔で爽やか極まりないない表情を浮かべるネウロは、ぱん、と両手を合わせた。
そうだ、こうしよう。
そう言って、ネウロは笑った。悪巧みを思いついた、外道の顔で。
「貴様は死ぬまで、我が輩の下僕だ!…一生逃がさんぞ」
軽やかな口調で告げられたそれは事実上死刑宣告となんらかわらない言葉だった。
だが、怒りや恐怖や絶望のなかに、少なからず違った感情が紛れて浮き上がってくる。
…一生逃がさない、だなんて。
まるでプロポーズだ。
考えた直後に一瞬体をかたくして、馬鹿馬鹿しい発想をしてしまったことが恥ずかしくなる。
顔が赤くなっていないだろうか。気づかれたら、それこそ一生の恥だ。
妙な意図など言葉の中に紛れていないことなど重々承知なのに、反応してしまったのが悔しい。
泣いても慰めてくれやしないし、鬼畜でドSで、酷い事ばかり言うし酷いことも沢山するし、人の感情なんて一ミリだって理解できない最低なおとこなのに、時々ぽろりと落とす言葉は強く感情を揺さぶってくる。
それをきっと、本人は意図してやっていないのが本当にたちがわるい。
ああ、この男は本当に。
「…サイテー」
思わず口からこぼれでた一言を、鬼畜魔人が聞き漏らす筈はなかった。
「ほぅ。弥子、何か我が輩に不満でもあるのか?我が輩は今丁度貴様を愉快にさせる計画をたてていた所だ。どれ、貴様の不満ん解消すべく心優しい我が輩が一肌脱ごうではないか」
…本当にサイテーだ。
この鬼畜!と叫びたいのを我慢して、弥子はなんとか終わりなく続きそうな拷問から逃れる術がないものかと頭を抱えた。




2007.03.21